林谷 道子 プロフィール
林谷道子(はやしだに みちこ)
広島大学医学部を卒業後、一貫して小児医療の道を歩む。
キャリアの早い段階から新生児医療の重要性に着目し、昭和54年の広島市民病院未熟児新生児センター開設と同時に、黎明期であった日本の新生児医療の世界に身を投じる。
以来、40年以上にわたり、広島市民病院の周産期・新生児医療の最前線で活躍。同センターの部長、主任部長、そしてセンター長を歴任し、広島における周産期母子医療体制の構築と発展に大きく貢献。その長年の功績が認められ、平成19年には広島県知事より救急医療功労賞を授与される。
また、日本小児科学会や日本周産期・新生児医学会などで代議員や評議員を務めたほか、広島大学の臨床教授として後進の指導にも尽力。
広島市民病院を退職後、令和2年からは重症心身障害児者施設「ときわ呉」に勤務。豊富な知識と温かい眼差しで、医療的ケアが必要な子どもたち一人ひとりに寄り添い続けている。

ご挨拶
私が医師になった1974年当時、広島では十分な新生児医療は行われておらず、呼吸が悪い小さな赤ちゃんはなす術もなく亡くなっていた。
私は研修医一年目の夏に、当時国内で先進的な新生児医療が行われていた新生児集中治療室を見学する機会があった。そこで、保育器の中で手のひらに乗るくらいの小さな赤ちゃんが呼吸器をつけて生きている姿にカルチャーショックを受けた。病棟には大きく育って退院していった赤ちゃんの写真が飾られていた。それが新生児医療に携わるきっかけとなり、35年間の新生児医療の原点となった。この夏の運命的なめぐり合わせがなければ、新生児医療とは無縁であったかもしれないと思っている。
1979年に広島市民病院に未熟児新生児センターが開設され、「広島の赤ちゃんを診たい。」という私の願いは叶えられることとなった。新生児医療を始めた当時は、呼吸の悪い赤ちゃんが産まれるとほとんど徹夜に近かったが、一つ一つが手探りであった分、元気に退院していく姿は私にとって何ものにも変えがたい大きな喜びであった。
その後、日本の新生児医療は目覚ましく進歩し、小さな赤ちゃんや重い病気を持つ多くの赤ちゃんの命が救われた。一方、その影で亡くなっていく赤ちゃんとご両親、後遺症のために在宅医療を必要とする赤ちゃんとご両親にもたくさん出会った。その中での多くの出会いが今の私につながっている。
略歴
昭和49年3月 | 広島大学医学部 卒業 |
昭和49年4月 | 広島大学医学部 小児科 入局 |
昭和54年7月 | 広島市民病院 勤務 |
昭和54年8月 | 同院 未熟児新生児センター開設とともに新生児医療に従事 |
昭和58年4月 | 同 副部長 |
平成元年4月 | 同 部長 |
平成8年7月 | 同 主任部長 |
平成19年4月 | 同 総合周産期母子医療センター 主任部長 |
平成25年4月 | 同 総合周産期母子医療センター センター長(〜平成27年3月) |
平成27年4月 | 嘱託として同院に勤務(〜平成28年1月) |
令和2年10月 | 重症心身障害児者施設 ときわ呉 勤務(現在に至る) |
【主な所属学会】
- 日本周産期・新生児医学会
- 日本未熟児新生児学会
- 日本小児科学会
- 日本小児保健学会
【主な役職など】
- 日本小児科学会 元代議員
- 日本周産期・新生児医学会 元評議員
- 日本未熟児新生児学会 元評議員
- 広島新生児研究会 元会長